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フロー化する知識 [コラム]

「グローバルスタンダードと国家戦略: 坂村 健 著」という良著に出会った。現代の混沌とした世界における国家戦略のあり方を技術論の観点から述べた骨太な本だ。さまざまな示唆に富む良著だが、今日はその中でも特にウェブを取り巻く技術について解説している部分を引用してみたい。



。。。限られたクローズなスタッフによりつくられ、パッケージ化されて配布される旧来型のコンテンツをストックとするなら、「骨髄ドナーに選ばれちゃいました」や「電車男」は、「2ちゃんねる」というオープンな場の中で不特定の人々が読みながら作り上げた、まさにフローすることで生まれたコンテンツであった。
クローズでパッケージ化された静的なコンテンツから、オープンな場による動的なコンテンツへ。知がストック型からフロー型へ移行するという流れが、インターネットの中で見えてきた。



(中略)



ストックが無意味になりつつありフロー主体へ知が明確に移行してきていることには、インターネットが大きく関与している。
パッケージは変化できない--というより変化しないものがパッケージである。しかし昔はそれが十分長持ちした。一つのプロセスに人の一生よりも時間がかかることも多く、科学でもグリーンの定理、ウェゲナーの大陸移動説など、生前は無視されたのが死後に評価された例は数多くある。
スピードが遅いから方便としてのパッケージが成り立っていた。たとえば印刷された本というメディアは変化できず、高コストのため吟味して作るしかなかった。そこにインターネットが普及して「ウェブ」という体系化した知を広める新しい手段が出現したのだ。
その特徴はリアルタイムかつ低コストでの全世界への知の配布力。紙の配布にサイクルのスピードを規定されていた「科学」というCMS(Contents Management System)は、その制約がなくなったことで明らかに近年進歩を加速させている。
また知の関連範囲の面でも従来の物理パッケージは容量の制限があり、個々のパッケージの扱える分野には制限があった。しかし近年学問の世界では、同じ分野の専門家どうしでも互いの研究内容が把握できないほど専門家と学際化が同時進行している。こればまがりなりとも機能しているというのも、リンクによる自己組織的な知の連関の広がり、他の専門に関する関連知識でも検索エンジンにより一瞬に引き出せる--というインターネットの力が大きい。
そしてこのようなインターネットの性質がネットワーク事態を進歩させる正のフィードバックを生む。インターネットの出現による範囲と速度の爆発。それにより科学の分野ではパッケージとは異なるプロセスのスナップショットに過ぎず、その方便がもはや成り立たないことが明確になってしまったのだ。。。。
(グローバルスタンダードと国家戦略: 坂村 健 著 より抜粋)





難しい表現だが、私なりに解釈すればこういうことだ。



  • 昔は知識を持っていることが偉かった。科学者、作家、ミュージシャン、医者、コンサルタント、アナリスト、、、、みんな独自の知識を持つことによって他者から際立つ存在であった。また知識を持つには努力が必要だったので、知識を持つ人はそれだけで尊敬に値した。
  • しかしインターネットの技術が知識の流通を劇的に改善したので誰でもコストフリーで膨大な情報にアクセスできるようになった。情報を所有すること自体の価値は相対的に低くなった。代わって誰もが知識の収集・選別・創造のプロセスに関われるようになった。すべてを一人の人間がこなすことは出来なくなりつつある。


そこで坂村教授は、これからは知を生むプロセスをオープン化し、「正しい」ものにより近づくシステムを作らなければならないと説く。



坂村教授の主張からはやや脱線するが、教授の主張を見ていくと、今ネットの世界で起きている技術革新の意味がなんとなく理解できる。



  1. 誰もが簡単に情報を発信できる緩やかな規則としてのHTML
  2. 膨大なデータの処理や流通を支える低コストな情報通信インフラ
  3. ネット上の膨大な知識を効率的に収集する検索エンジン
  4. 知識を交換しながら新たな知識を創造する場としてのブログやSNS


これらはすべて知識を創造するプロセスとして機能できるわけだ。そして、ここまでは既に起きていることだ。



この先、坂村教授はユビキタス社会の到来を示唆している。身の回りのあらゆるものがデータを持ち、意味を持ってくる社会だ。スーパーマーケットで牛肉を買えば生産者、加工者、販売者の履歴がわかるようになり、携帯電話を持って街を歩けば行く先々で携帯電話が道先案内や買物情報をガイドをしてくれる。自動車は路面や車間や渋滞情報を常に監視しながら、最短経路を表示してくれる。ここに挙げたことの一部は既に実現されつつあるが、これが日常のあらゆるものに導入されるようになってくる。



ネットの世界ではもう一段の発展が起こりそうな予感がする。
”Web2.0”とかいうらしいが、私のイメージではこれをもう一段押し進めて、ウェブに触れる人間だけでなく、身の回りのあらゆる機器がネットにつながり、相互に連携して新しい情報や知識を生み出していける社会がくるように思うのである。




プラットフォームの戦い [コラム]

技術というものはだんだん進歩して複雑になると、共通部分と固有部分に分かれて進化していくものらしい。
共通部分というのは、複雑になった仕組みの中から汎用的に使える部分を取り出して一つの独立したパッケージにしたもので、固有部分というのは利用する時の固有の状況に応じて適宜調整するようなものを指す。この共通部分と固有部分をうまく組み合わせれば、容易に何にでも技術を転用できるようになるのだろう。この共通パッケージのことを「プラットフォーム」と呼ぶ。



あなたのパソコンの中で動いているIntelのPentiumは一つのプラットフォーム、その上で動いているWindows OSも一つのプラットフォーム。トヨタのハイブリッド車に搭載されたエンジンもプラットフォーム。楽天市場のオンラインショップも電子商取引のインタフェースを汎用化してパッケージにしたという意味では一つのプラットフォームと呼べるでしょう。このようにプラットフォームというやつは世の中のあらゆる場所と階層に存在し、進化していくものらしい。



今、取り組んでいる半導体ベンチャーの業界はまさにこのプラットフォーム戦争の真っ最中にある。半導体にはムーアの法則というのがあって「半導体チップの集積度は18ヶ月で2倍になる」というもので、1965年に提唱されてからいまだに続いているようだ。その結果、半導体に詰め込めるロジックの量が日増しに増大し、特に携帯電話機などの組込機器市場で著しく半導体が高機能化しているようだ。一説には携帯電話機に使われている半導体の内部には数百万行のプログラムが書かれているという。数百万行といえば、かつて巨大システムの代名詞でもあった都銀の第3次オンラインの規模に匹敵する。数百人が数年かけて作るほどのプログラムの大作だ。Windowsも数百万行ぐらいでしたっけ?(ちょっと記憶が怪しいですが)。。。 そのくらい今の携帯電話に使われている半導体には高度な処理が求めらていて、開発する側も負担も大変なもので、どうやら限界に達したらしい。そのせいか、近年半導体メーカー各社はそれぞれ自社のプラットフォームを開発して懸命に競争をはじめた。



こうしたプラットフォームの勝敗を決めるものはなんだろうか。おそらくは技術的に優位にあることがまずは必要なのでしょう。でも技術だけではだめで、これに優れたマーケティング戦略が伴ってないとうまくいかないこともあるようだ。たとえば抜きん出たユーザーインタフェースを持っていたマッキントッシュは90年代にウィンドウズに完敗したし、一世を風靡したネットスケープのナビゲーターも初期のIEよりはよっぽどさくさく動いたと思うが完全に敗れ去った。



プラットフォーム戦争は大手メーカー同士の総力戦みたいなところがあるので、ベンチャーの身としてはこれに巻き込まれないように固唾を呑んで見守っているしかないのが現実だ。プラットフォーム戦争に定石があれば是非とも知りたいものだ。



ところで、アメリカのナノテク素材のベンチャー企業がプラットフォーム戦略をとっているのを見た。「ナノテク素材のプラットフォーム」というものにはどうもぴんとこない。何を共通化しているのだろうか? 素材の世界は共通化・転用化が容易なんだろうか? どなたか詳しい人に一度じっくり話を聞きたいものです。




コンバージェンスの流れ [コラム]

新事業や新商品の企画する時、将来の売れ行きを予測するのはとても難しいものだ。世の中に大ヒット商品なんてそうそうあるわけではなく、新しく企画した商品がそこそこ売れればいい方、まったく売れないものもそこらじゅうに転がっているのではないか。



売れない商品を作ったり仕入れたりしたら不良在庫が積み上がってしまうのでビジネスとしてはマイナスだ。だからビジネス上の判断はどうしても安全思考、つまり「大ヒットでなくてもいいからそこそこ売れてほどほどに儲かればOK」というような思考に傾いてしまいがちだ。



おそらくそんな事情があるからだろう、世の中に一度ヒット商品が出ると、そのヒット商品に少しだけありあわせの機能を追加して、より高機能な商品を作ることが多い。携帯電話の例を見てみよう。初期の携帯電話は家庭用コードレス電話の子機も真っ青の大きさだったが、やがて市場が大きくなるにつれて小型化し、そのうち他で流行っている機能を追加して、たとえば電子メールとかウェブ閲覧などの機能を追加して売り出し、さらに売れてきたらまた違うありあわせの機能、たとえばデジカメの機能を追加して売り出し、次は財布機能を追加し、最近ではミュージックプレーヤーの機能を追加し、、、、次はえーっと、テレビですか? その次は、えーっとプロジェクター、その次はえーっと、、、、、そのうち携帯電話ひとつあればAV系家電製品はみんな間に合ってしまう???



商品や技術がだんだん複雑化するにつれて、それを開発するのに必要な投資額も大きくなるため、冒険をしづらくなるのでしょう。そんな背景もあってこうした「ありあわせの技術を合体させる」ことが多いんじゃないでしょうか。



これをコンバージェンスというらしい。
携帯電話をひとつ買えば一通り何でも叶えてくれるという意味でこのコンバージェンスは誰にも恩恵を与えてくれるものだ。何しろ一つ持ち歩けば凡そのことは間に合う。電話機を持ち歩いていればいつでも写真を取れるし音楽も聴ける。このようにコンバージェンスは基本的に便利なものだ。でもこの流れがあまり進みすぎるのも考え物だ。一つの商品に何でもかんでも機能をぶち込むと、商品のフォーカスがだんだんぼけて来て、やがて行き着く先は個性に乏しいコモディティ製品になるような気がするのである。



世の中というのは実によく出来ていて、ある程度コンバージェンスが進むと、そうした汎用製品から離れて、個性豊かな製品を望む市場ニーズが出てくるものらしい。たとえば大きさを極限まで小さくしたiPod Nano、高級デジカメのCanon EOS Kiss, ハイビジョン撮影が出来るSonyのHandycam等の流れで、これらはみな圧倒的な基本性能の良さで世間をあっと言わせた。コンバージェンスとは異質な流れだ。



そして、これら画期的な新商品が新しい起点となり、以前とは違う新たなコンバージェンスの流れが始まるのだろう。



技術というのはこんな風に「画期的な新商品」→「コンバージェンス」→「次の画期的新商品」→、、、というような波を繰り返しながら進むものだと考えている。




ギブ・アンド・テイク [コラム]

1年ぐらい前に知り合った投資家仲間に久しぶりに連絡を取り、あることでヘルプを求めたところ、こっちが恐縮してしまうぐらいいろいろと手を尽くして支援してくれた。アメリカは悪い国じゃない、中にはいい人もいるものです。
ひとしきりやり取りが済んだ後で、「いい投資案件があったら紹介してね」とポーンと念を押された。悪い感じは全然しなくて、これだけいろいろと尽くしてくれたんだから次はこっちからお返ししなきゃなぁと素直に思えたものだった。

投資の世界で生きていくにはこんなギブ・アンド・テイクってほんとに大事なんだよねー、と改めて実感。

そういえば、ソーシャル・ネットワークやブログもギブ・アンド・テイクかも。。。知人を紹介したりおもしろい日記を書いたりしてそのコニュニティに対して「ギブ」を増やしていくと、だんだんとアクセス数という「テイク(?)」が増え、それがモチベーションになってさらに人を誘って日記を書いて、、、考えすぎ?

技術系ベンチャーが陥るワナ [コラム]

今日は半導体系ベンチャー企業の経営陣と話をした。
研究者肌のまじめな方で、最近研究所から独立し、今回が始めての投資ラウンドだという。一生懸命説明してくれるのはいいんだが、懲りすぎてしまう傾向があって話がなかなか進んでいかない。昼下がりのミーティングで、難しい話になるとどうも眠たくなるせいもあって、懸命にこらえているうちに、全然違うことを考えていた。



「この社長は、これから起こるであろう数々の苦難を乗り越えていけるんだろうか?」



いろいろな企業を見てきたが、特に技術系ベンチャーには技術系ゆえの潜在的な問題にぶつかることが多いと思う。



ケース1:技術開発の遅れ
技術開発プロジェクトに関わったことがある人なら「そんなこと、あたり前」って思うでしょう。そうなんです、これって企業の大小を問わず、技術開発プロジェクトではよく起こることで、「最新の技術だからバグを直すのに手間取った」とか「新しく雇ったエンジニアが経験不足でて立ち上がりに時間がかかった」とか「製品供給元が直してくれない」とかいう話になることが多いんです。(これを軽減するには「プロジェクト管理」が必要でしょうが、これはこれで話が長いので今日は置いときます)。
大企業での技術開発の場合には多少つまずいても路頭に迷うことはないでしょう。でもベンチャー企業の限られた資金量では大問題。事業縮小に陥ったり、事業転換したり、最悪、会社をたたむことだって起きてしまうんです。



ケース2:品質基準の甘さ
一般に、製品を作る側が供給できる品質レベルとユーザーが求める品質レベルにはギャップがあるものです。作る側が「このくらいの完成度なら売れるだろう」と思っても、買う側には「とれもじゃないがそんな紛い物は買えない」となってしまいます。
特にベンチャー企業と大企業の間で特にこのギャップが大きく、さらに海外のベンチャー企業と日本の大企業の間ではそれこそ天と地ほども意識がかけ離れていることがある。このギャップを埋めるためにどれほどの人材と資金を投じなければならないことか。。。



ケース3:交渉力の弱さ
ベンチャー企業はなかなかユーザーに対して強いことが言えない。有効な打ち手がないと価格、納期で我慢を強いられ、貧乏暇なし状態に陥ってしまう。ひどい話になると大企業の言いなりになっていいように使いまわされて、何も仕事をもらえないままビジネスが立ち消えてしまうことも良くある。



ケース4:そもそも市場がない、市場を作れない
素人から見てもあまり売れそうにないものを一生懸命作った挙句、やっぱり売れずに窮してしまうパターン。ベンチャーですから人と違うことをやって初めて大きな成功があるわけですが、そうかといって売れないものを作ってもしょうがない。このあたりは経営センスというか、市場の動きを読むか、市場を自分で作り出すぐらいの感受性と実行力が求められてくるところ。



先の社長の話を聞いているうちに思いました。
「この会社に投資したとして、この社長が上記をクリアできなかったらどうする?」



あなたならどうする?


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