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コラム: 規制緩和と参入機会 [コラム]

先日のアイピーモバイルに関するエントリーには多くの反響を頂きありがたく思っています。かつて業界の内部にいらした方の下記のコメントは大変重みがあります。海部さん、大変勉強させていただきました、ありがとうございました。

「アイピーモバイル」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」と「テレコム大航海時代」



さて、MVNOの苦境を尻目に、日本でのモバイルWiMAXは盛り上がっているよう。イーアクセスとソフトバンクらが中心となったOpenWin(関連記事)、KDDIを中心とするグループ(関連記事)、アッカとドコモが中心のグループ(関連記事)と大手どころが出揃った。



どうやら総務省は新規参入を促進する考えでいるようで、既存の携帯電話事業者の出資比率を1/3以下にする方針でいるらしい(関連記事)。ちなみに、出資比率を考えるとき1/3というのは大事な数字で、これ以上の議決権を持つと、取締役選任や会社の事業展開について拒否権を有することになるため、経営に影響を及ぼすことが出来る。総務省はあくまで既存の大手携帯電話事業者3社の影響力を下げたいようだ。



モバイルWiMAXはまだ始まったばかりなので先行きは読めないが、総務省が規制緩和を促進しようとしている姿は興味深い。



今日は、そんな規制緩和は是か非か、考えてみたい。焦点を絞るために下記のような観点で見てみよう。



  1. 規制緩和は誰かの利益になるか
  2. 規制緩和は新規参入を促進するか
  3. 規制緩和はベンチャー企業にとってチャンスか


1については「規制緩和の促進」→「新規参入&競争激化」→「商品・サービスの向上、価格の低下」→「利用者の利益」というような展開をたどることで、最終的に利用者が利益を得るはずだ、という考えをよく耳にする。一般的にはこのような傾向が現れるものではないか。たとえば大規模小売店舗(例えばスーパー)の出店規制においては、規制を緩めることで大規模スーパーの出店が相次ぎ、競争が促進されて利用者が利益を受ける、というようなことが想定される。規制とは直接関係無いかもしれないがソフトバンクが新規参入して価格破壊を引き起こしたYahooBBやホワイトプランも参考になろう。



ただ、規制を緩めるにしても、その程度が問題だ。行過ぎた規制緩和は過剰な競争を生み、その結果淘汰が起こり、最終的に生き残るのは一部の大規模業者だけ、ということになりかねない。アメリカの通信業界ではかつて強大な権力を持ったAT&Tを解体して地域ごとの電話事業者に分断したが、結局のところ合従連衡が進んで今は大手数社による寡占状態に戻ってきたという。



また日本の携帯電話業界が世界的に見て高度に発展してきた背景には、NTTドコモを頂点とする携帯電話事業者が財務的に余裕があり、長期的な視点で研究開発を行ったり、ベンチャー企業を支援して一種のコミュニティを作ったり(ドコモの公式サイトやそこにおける決済代行サービス等)出来たことが要因だったのではないか。事業者にもある程度の利益(適正利益)は必要だと考えられ、これを過度な競争は業者を疲弊させる。その結果新たなサービスが提供されなくなって、長期的には利用者の不利益となる、という説もありえる。



つまり、規制緩和=利用者のメリット、とは必ずしも言えない。だから規制緩和には常にその「さじ加減」が問われるわけだ。そんな意味で、モバイルWiMAXの規制緩和は現実的な線ではないかと考えている。



次に、2の規制緩和と新規参入の余地の関係についてだが、これには市場の成熟度が影響してくるように感じている。



成長市場にあっては比較的新規参入は容易ではないか。市場がどんどん伸びている、つまり昨日まで顧客で無かった人が今日から新たに顧客になるというような市場では、大手業者だけでなく、中小の業者でもやり方しだいでは一定のシェアを確保できそうだ。



しかし成熟市場になると難しい。一般に成熟市場においては大手企業同士が限られたパイをめぐってシェア争いを繰り広げる。その過程でしばしば価格競争が起こり、潰しあいを始める。体力勝負になるわけだ。こんな市場にはたとえ規制が緩和されても容易には新規参入できない。



私の想像だが、日本の携帯電話市場は成熟市場なのではないか。そんな業界で規制緩和をしたところで新規参入業者が利益を上げるのは難しい。日本のMVNOは上記のような理由で大変困難が予想される市場だと考えている。一方、モバイルWiMAXについては、何か新しい使い方を提案できれば新市場を切り開く可能性があり、どんな新市場を提案できるかにかかっていると考えている。



最後に3の規制緩和とベンチャー企業の関係だが、これはここまで書いたことで自明になってしまったが、規制緩和がなされる市場が「成長市場」であれば、ベンチャー企業にも十分参入余地があるのではないか。また「成熟市場」への参入は少々考え物で、その場合には新たに市場を作るなり切り出すなりの工夫が必要、というのが私の持論だ。


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融資のご利用は計画的に [コラム]

これまで長年に渡って欧米のベンチャー企業とかかわってきたが、最近は日本のベンチャー企業さんとも関わることが増えてきた。日本と彼岸のベンチャー企業の様子を見比べていると、似ているところや違っているところがいろいろわかって面白い。中には、「これでいいのだろうか」と感じることがいくかある。ベンチャー企業の融資もその一つだ。



どんな企業でも事業の元手となる資金は必要で、融資はその資金を提供する重要な手段だ。ベンチャー企業にももちろん融資は必要だ。(ちなみに、欧米の技術開発系ベンチャー企業は、少なくとも創業期に融資を受けることはない)



問題だと思うのは、日本では「身の丈」を超える借入をしているベンチャー企業が少なからず存在することだ。身の丈とはつまり事業規模とか年商と置き換えると理解しやすいと思うが、事業の収益を通じて返済出来る限度を超えて、いわば背伸びして借入をしている企業が見受けられることだ。もちろんベンチャー企業たるもの、資金需要も旺盛だから、借りれるうちに目一杯借りておきたいという気持ちもよくわかる。ベンチャーは大きく成長することを目指していくわけで、貸す方もそうした成長性を見込んで貸すわけだ。でも、必ずしも事業が予定どおりに成長していかないことがある。しかも、しばしば起こる。



銀行ではこうしたリスクに対処するため、融資の際に社長の個人資産を担保に入れてもらうことがよく行われる。身内を保証人に入れさせることもありうるだろう。担保や保証がある限り、事業がうまく行こうが行くまいがベンチャー経営者は会社を容易にたたむことは出来ない。大きな負債が残っていると会社をたたんでも負債が残りかねず、そうした場合、経営者の個人資産や親族の資産まで融資の返済として取り立てられかねない。だから、経営者は「会社を潰さない」ように死にものぐるいで頑張る。ある意味でこれが経営者のコミットメントにつながっているともいえるが、問題は、会社を潰さないことが圧倒的な第一優先順位となるため(もちろんこれは大事なことなのだが)、大きなリスクを取りづらく、将来のスコープが小さくなりがちだ。欧米諸国のベンチャー企業に比べて日本のベンチャー企業が小粒な感を免れない(失礼な言い方ですみません)のは、こうした融資に伴う担保や保証が足枷になっているのではないかと考えている。



思うに、ベンチャー事業とは本来スクラップ・アンド・ビルドでいいのではいか。失敗することがありえるからベンチャーと呼ぶわけだ。志と知力を備えた起業家が失敗を恐れずに新しい領域を開拓する。失敗したら撤退して機をうかがい再起を期す。そうしたダイナミックな人の動きがベンチャーの本質ではないかと考える。そして、今の日本に必要なのは、そうしたダイナミックな人の流れを作り出すことだと思う。しかし、ベンチャーを支援するはずの融資が足枷になってダイナミックな動きが出来ないとしたらどうしたことか。



もちろん軽率に失敗しもらっては困る。でも、人間は失敗から学ぶことも多いはず。アメリカでは失敗は必ずしもマイナスではないと聞く。事業がうまくいかず、失敗であることが明白で、撤退したほうが合理的な場合には、一旦撤退することがあっても良いのではないか。つまり会社を解散し、再び新たな会社を作り直すという道が社会的に認知されてもいいはずだ。そうした「失敗しやすい環境」を作っていくことがベンチャー業界の活性化につながるのではないかと思う。



ベンチャー企業の方からは「そんなこと言ってもVCが投資してくれないんだから銀行に融資をお願いするしかないでしょう」というような声が聞こえてくるようだ。ごもっともな意見で、恐らく創業期にあるベンチャー企業へ創業資金や投資ノウハウ、経営支援を提供するファンクションが必要だ。インキュベーション的な機能がもっと必要だと思う。



やや話がタイトルの主題からそれたが、私が言いたいのは、ベンチャー企業の経営者の方々はもっと財務の重要性を理解しましょう、ということだ。「資本コスト」とか「企業価値算定方法(特にDCF法: Discounted Cash Flow)」の考え方は企業経営に必須なので、是非理解されることをお勧めしたい。キャッシュフローという言葉が一時流行って久しいが、キャッシュフローが理解できるのであればこれらは難しくない。こうした財務の概念は四則演算が出来る人、つまり誰でも理解できるはずだ。多少数列の概念も入ってくるが、あまり気にすることは無い。



こうした財務の基本的な概念は経営者に必須のリテラシーだと私は思う。こうした概念を理解することで、「身の丈にあった借入の額」の意味を把握しやすくなると思う。



加えて、有能なアドバイザーを見つけよう、と言いたい。



融資や増資には経験やテクニックが必要なところもあるので、ベンチャー企業の個々の状況を踏まえて財務戦略をきちんとアドバイスしてくれる有能なアドバイザーをもっと活用する場があってもいいと思う。毎年100社以上のベンチャー企業が株式公開しているわけで、そうした会社の財務を経験した人も相当数いるはずだ。ベンチャーの経営者の方々は「財務はよくわからない」などといわず、早めに有能なアドバイザーを探すべきだと思う。


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NGNは誰のため? [コラム]

通信業界ではNGN(Next Generation Network)の議論が盛んなようだが、どうも腑に落ちないことがある。NGNは誰のためのものかということだ。



私は通信の専門家ではないので細かなことは判らないが、私の理解で言えばNGNとはこのようなものだと考えている。



  1. IP(Internet Protocol)通信技術を使って、データ、音声、映像などのあらゆる信号を伝送させるネットワーク。
  2. 背景として、インターネットや企業内LANの普及によってIP通信機器の価格が劇的に下がったため、新しいネットワークを作ろうと思ったらIP以外の選択肢は考えられない。
  3. NGNはインターネットに似ているが、通信サービスの品質(≒帯域≒通信速度)を保証するかしないかの本質的な違いがある。前者は「サービス保証型のネットワーク」であるのに対し、後者は「ベストフォートベース、エラーの発生を前提としたネットワーク」である。


IPネットワークの構成要素の中に「親」はいない。分散システムとして設計・構築されてきた経緯があり、システムの構成要素(ルーター、スイッチ類)は自立的に勝手に動く。文字通り網の目のようなネットワークを張り巡らし、網の継目(Node)にインテリジェントな機器をおき、ネットワークに流れてくるパケットの行く先を各Nodeが判断しながらバケツリレーのように隣のNodeにパケットを渡していくことで成り立っている。
時には送り手が送り出したパケットが消失(ロスト)することもあるが、消失したらもう一度パケットを送りなおせばいいじゃない、とやや達観しているところがあって、おかげでパケットの管理にあまり余計な手間隙をかけない。シンプルだがややプリミティブで知性に欠けるネットワークではある。だが、このシンプルさのおかげで機器のコストが下がったのも事実だろう。そのおかげで高速なインターネットを安価に利用できるようになり、さらにこのネットワークを使った様々なアプリケーションが花開き、壮大なネットの世界を作り上げた。このように、IPネットワークの世界は、分散、オープンを基本思想し、エラーの発生を前提に作り上げられて発展してきた。



これに対してNGNは、IPをベースにしながらも、通信の品質を保証することを前提にしている。例えば、映像通信や電話通信等の利用者は、信号の流れが遅くなって映像や音声が乱れたら困るから、通信の品質はきちんと確保しなければだめだ、そのためにしっかり管理してくれ、と考える人もいるだろう。これはこれで理解できる。
そこでNGNには通信の品質を管理する「局所」が存在する。技術的にはSIPサーバーというらしい。その局所が一箇所なのか複数あるのは私には定かではないが、通信の品質を保証するためにはネットワークの構成要素はこの局所の管理下におかれなければならない。つまり、NGNは本質的にクローズドな世界にならざるを得ないのだ。情報の発信側がNGNを使っていても、受信側がNGNに入っていなければNGNの存在意義である「品質の保証」は果たせない。



ここで、はたと疑問がわいてくる。NGNとインターネットはどうかかわりあうのだろうか。



世界には既にインターネットが存在し、億単位の個人ユーザや企業ユーザが既にインターネットに接続している。インターネットの世界では各ユーザがオープンな思想に基づいて様々なタイプの機器をネットにつなげ、様々なデータをやりとりしている。データ、音声、ビデオ、どれもインターネットでやりとりされている。こうしたインターネットのオープンな世界と、NGNのクローズドな世界は本質的に相容れないのではないか。インターネットが圧倒的に巨大なネットワークとして存在している以上、後発のNGNがこれを置き換えるのも現実的とは思えない。そう考えると、NGNはインターネットの大多数の既存ユーザにはあまり意味がなさそうな気がしてくる。



私のイメージでは、iモードの「公式サイト」と「勝手サイト」のようなものかと考えている。つまり、NGNは公式サイトのようにきちんと料金を払ったユーザに対してクローズドだけれども高品質なサービスを提供する世界、一方のインターネットは勝手サイトのように何でもありの自由な世界、そしてこの公式サイトと勝手サイトの間には「ゲートウェイ」が存在して、相互乗り入れをある程度確保してユーザの利便性も確保しておく、というようなイメージだ。



こうした「公式サイト」としてのNGNがどの程度普及するのかよくわからない。通信の品質が死活問題だ、というようなユーザにはNGNは朗報だろう。日本全国に拠点を持つ大企業グループなどはまずは重要な顧客になるだろう。このほか、通信の品質を気にする人たち、例えばテレビ局や音楽、ラジオ業界が加わってくるとさらに大きな流れになるかもしれない。



しかし一方で大多数の個人ユーザや通信量の少ない企業ユーザはベストエフォートの安い回線を選びそうな気がする。「インターネットただ乗り論」が出てくるように、通信事業者の間では、ビデオや音楽ファイルといった大規模ファイルをやり取りするユーザから「正当な」料金を徴収したいという本音がありそうに思うが、そう簡単に個人ユーザが喜んで高い料金を払うとは思えない。



NGNは今年後半にサービスが始まるという話もあるが、何が始まるのどうもよくわからないし、NGNの盛り上がりは今のところ通信業界の外までは伝わってきてない気がする。今後、大きな流れとなるか、それとも単なる一技術で終わるか、重要な局面を迎えているのではないか。



もっと詳しく知りたい人のために、

ビッグ対談:NGNとFMCを語る


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チームの雰囲気 [コラム]

先日、いつもとは違う日系の航空会社に乗ることになり、成田のラウンジでぼぉっと外を眺めていた。花の名前のついたそのラウンジの窓の前には搭乗ゲートがあって、ちょうどキャビン・アテンダント(CA)の皆様が仕事場である飛行機に乗り込んでいるのがガラス越しに見えた。



でもどこか不自然。一人、また一人と、CAの皆さんがそれぞれ5メートルぐらいの間隔を空けて歩いている。そういう状態で5人ぐらいの方がそれぞれ人との間合いを取りながら飛行機に乗り込んでいるところだった。とても不思議な光景だ。



僕のイメージで言えば、CAの皆様は空港内ではいつもまとまって歩いてらっしゃることが多く、外国の航空会社ではCAのみならず操縦室のメンバーまで楽しそうに談笑しながら歩いている風景をよく見かける。チームとしてよくまとまっているように感じるし、そういうよくまとまったチームの飛行機はどことなく安心感がある。



翻って、上であげた日系航空会社だが、少なくともその光景から談笑するような雰囲気は感じない。このチームは、チーム内の信頼関係ができているのだろうかと疑問を感じずにはいられない。このチームは顧客に良いサービスを提供できているだろうか。いざというときにきちんと連携ができるのだろうか。何やら気になってしょうがない。この航空会社は去年あたりマスコミに随分とたたかれたようだが、現場レベルもどこかギクシャクしているのかもしれない。



海外にいると、日系航空会社の機体を見るとどこかほっとするものだ。これからも世界のあちこちに飛んでいってもらいたい。今の窮地を何とか踏ん張ってもらって、また信頼される航空会社になっていただくことを願いたい。


「インターネットバブルを起こせない日本のVC」へのコメント [コラム]

CNETに「インターネットバブルを起こせない日本のVC」というエントリーが寄せられた。トラックバックが出来ないので、とりあえず原文へのリンクを張りました。



湯川氏の主張は概ね正しいと思う。実際、日本と米国のVC投資額を比較すると規模の違いは歴然としているし、大手VCの中にはレーターステージへの投資に注力しているところが多く、バブルになるくらいの勢いを持って産業を興そうなんて考えているVCはほとんどないのが現実だろう。



しかし、アーリーステージのベンチャー企業に投資して企業と一緒に汗を流しながら頑張るVCやキャピタリストが出てきているという話も聞く。こうした人たちを「本物のキャピタリスト」と呼ぶとすれば、最近までの好調なIPO市場に指させられて、「本物のキャピタリスト」は着実に増えているのではないか。時間はかかるかも知れないがあと10年もすればこうした「本物のキャピタリスト」が世間に認知される時代が来ることを期待したい。



また、現在の日本のVC投資額が盛り上がらない理由はVCの姿勢にあるだけではなく、投資したくなる企業が多くないという側面もあるように思われる。景気が悪い時には「大企業にいても先が知れているから奮起して起業しよう」という起業マインドが見られた聞くが、最近の好景気の影響もあって最近では起業意欲が減っているという噂があり、さらに学生の就職についても保守的な動きが目に付くというような話を効く。



起業が報われる社会、失敗を許容する文化、起業を支援できる投資家等は起業に必要な「インフラ」だと思われるが、こうしたインフラを整備・発展させることと起業マインドを盛り上げることは、ニワトリとタマゴのように相互に関連しあいながら発展していくものだと考えている。


垂直統合から水平分業へ [コラム]

企業の経営戦略を考えるとき、特定の市場にサービス提供するための全機能を自ら用意する「垂直統合型戦略」と、水平分業された機能のうちのどこか特定部分のみを提供する「水平分業型戦略」のどちらを取るのか選択を迫られるときがある。IT業界の最近の動向を俯瞰すると、業界は大きく垂直統合型から水平分散型に転換しているようだ。しかしながら水平事業を単独で立ち上げるのは難しく、いかにアライアンス戦略を組めるかが成否を分けると考える。



◇◇◇



IT業界において垂直統合戦略で成功した代表例はマイクロソフトだろう。クローズなOSと、その上で稼動するアプリケーション製品群を自社開発して販売することにより、「文書作成」や「表計算」や「メール」といったデスクトップ・ユーザーのニーズを満たし、さらにデスクトップでの支配力を梃子にサーバー市場でも勢力を拡大してきた。ユーザーのニーズをすべて自社製ソフトウェアで提供することが同社の成功の秘訣だった。一時期のマッキントッシュも垂直統合戦略だった。ハードウェアもソフトウェアもそれらをつなぐ通信規格もすべて自社で支配・統合しながら高い完成度でマックの箱の中に隠蔽することでユーザーはハードやソフトの面倒な取り回しを意識しないで済むようになり、マックは一世を風靡した。



これに対して水平分業の典型は最近の例ではWeb 2.0の世界だろう。特定の機能を持ったサイトどうしが相互に連携しながら処理を行うことが簡単に実現でき、ユーザーは一つのサイトを見るだけで従来では考えられなかいくらい高度で広範囲な情報を利用することが出来るようになった。例えばこのブログにも使っている「Google Adsense」では、このブログ上にGoogleのサーバーにつなげるための一種のAPIを書き込むだけで、表示すべき広告はGoogleのサーバーがすべて処理してくれる。このAPIがなかったらこんな高度はページはとても作れない。水平分業のいい例だろう。また、半導体業界でも水平分散が進んでいて、半導体の設計、製造、設計ツール等に特化した企業が次々に現れて、従来からある垂直統合型の企業の市場を脅かしている。たとえばQualcomm社は北米での携帯電話向け半導体を独占し、台湾のTSMCは圧倒的な低コストで半導体を製造することが出来、ARM社は組込半導体のCPUコアではデファクト的存在だ。



IT業界では大きく言って80年代は垂直統合の時代、90年代に入って水平分業型が登場し、2000年代では水平分散型が垂直統合型を脅かす存在なったと見ている。
80年代のIT業界と言えば、IBMに代表されるメインフレームとこれを模した企業が業界を支配していた。通信業界でも例えば日本ではNEC、富士通等が電電公社やKDDに独占的に製品を納入していた。
90年代に入ると「オープンシステム」という言葉が出てきて、ハードウェア、制御系ソフト類、アプリ系ソフト類にそれぞれ別個のベンダーの製品が使われるようになり、それぞれの分野の雄が誕生した(例えばSun、Oracleといった専業ベンダー)。しかしこの段階でもなお最大の力を持ちえたのはマイクロソフトであり、マイクロソフトは引き続き垂直統合的な事業戦略をとっていた。同じようにSAP等も垂直統合によって業績を伸ばした。
その後、2000年代(というかここ2~3年)になって水平分業が大きく飛躍してきた。いろいろな背景があろうが、IT業界が成熟期に入ってコスト引き下げ要求が厳しくなったこと、ユーザーニーズが高度化して単独の企業だけでは開発出来なくなったこと、特定分野に特化して専業化した方がスケールメリットを活かせること等であろうか。この動きはソフトウェア、ハードウェア、半導体、通信など、IT業界のあらゆる分野で同時に進行しているように見える。



このように垂直方向から水平方向に業界構造が大きく変化している時代にあってはベンチャー企業はどのような戦略を取ればいいのだろうか。



ベンチャー企業の限られた資金力を考えたとき、垂直統合よりも水平分散の方が資金が少なくて済みそうだ。その意味で水平分業型の方がベンチャー企業にはなじみやすく、業界が水平型に転換している現在はベンチャー企業が起業しやすい環境と言えるだろう。しかし水平分散型における大きな課題は、単独の企業が特定の機能を提供したところで、それ単独では存在しえず、ユーザーにサービスを提供するため他の企業等が提供する機能と連携・統合しなければならないことだ。この統合の過程において関係企業間で諸々の交渉が行われることになるだろう。ビジネス的・技術的な連携方法や利益の配分方法など、悩ましい問題が多々発生するはずだ。また弱者同士が連携したところで成功する可能性は高くないだろう。かといって強者と連携すれば利益配分において足元を見られかねない。このあたりをどのように切り抜けるかが最大のポイントになるはずだ。



小職が関わっている半導体ベンチャーも水平分業型の戦略を取っているが、アライアンスには終始苦労している。あまりに苦労するのでいっそのこと多額の資金をつぎ込んででも垂直統合型企業に切り替えようかという議論が何度もあった。結果的にこの企業は水平型を継続しているのだが、もし垂直統合に切り替えたら、という思いは尽きない。このあたりの舵取りが経営の難しさなのだろう。


新興市場公開銘柄は高いか? [コラム]

Web進化論で有名な梅田望夫氏のサイトに「[] 制度設計側が是正すべき一般投資家リスク過重」(全文はこちら)というコラムがアップされました。ごもっともなご意見ですが、「株式公開前の関係者」であるベンチャーキャピタリストとしては「こちら側」の見解も述べておくべきかと思うので整理してみました。



まず、梅田氏の論点をまとめると、下記の2つに集約できると思います。



  1. 制度設計の過渡期の現象として、この仕組み(株式公開システム)全体の関係者が取るリスクと得るリターンのバランスが、株式公開前の関係者にやさしく、株式公開後の関係者に厳しくデザインされ過ぎている。株式公開前の関係者が「早すぎる公開」によって先にハイリターンを確定してしまい、「最大の難所」を乗り切るリスクを、公開以降に投資した一般投資家に負わせていることが最大の問題だ。
  2. これは、起業家のモラルによる解決を期待すべき問題ではなく、制度設計側の責任で是正すべき問題だ。日本の新興市場における株式公開基準を少し厳しく見直し、株式公開前の関係者と一般投資家の間のリスク・リターンのバランスをより正当なものに設計し直すべきだ。


この問題はいろいろな要素が含まれていると思いますが、私の意見はこうです。



  • 株式公開後に「最大の難所」がくる場合もあるがそうでない場合もある。「最大の難所」がどのようなもので、どの段階の企業に訪れるのか判断するのは難しく、その判断を一般投資家が負わされている現状は確かに問題だ。
  • しかしながら、ベンチャー企業が公開しやすい市場を作るというのも一方で重要な命題だ。公開しやすい市場と「最大の難所」の判断を両立させるには、株式公開後に一般投資家を支援する中立な立場のアドバイザーやアナリストが必要なのではないか。


加えて、言葉尻を捕らえるようだが”株式公開前の関係者が「早すぎる公開」によって先にハイリターンを確定しまう”というのは少々ひっかかりを覚えてしまう。確かに新興市場において公募価格が高すぎる例が見受けられるのも確かだが、2000年のバブル期に比べれば随分と公募価格が妥当な線に落ち着いてきているようにも思える。公募価格に対してIPO時の初値が上回るケースが圧倒的に多いのは、公募価格が需要に対して高すぎないから、という側面もあるのではないか(実例はこちら)。そうすると、”株式公開前の関係者がハイリターンを確定”したとしても、それは「不当な利益」ではなく「妥当な利益」であり、むしろIPO直後に株価が乱高下することによってそれこそ不当な価格がついてしまうことの方が問題ではないか、と考えている。もちろん、公募価格の価格決定プロセスについては曖昧模糊としているところもあるように見えるが、ブックビルディングによって公募価格決定前に投資家の意見を取り入れるシステムによって、いくらかでも公募価格を市場が公正と考える価格に近づけるようになっているのではないか。(ブックビルディングそのものが有効に機能していない、という考え方もあるかもしれませんが)。



個人的に問題だと思うのは、新興市場では機関投資家があまり積極的に動けないことだ。機関投資家は精緻なデータと知識・経験に基づき合理的な動きをする勢力だが、新興市場の小型株の場合には市場に流通している株式がそれ程多くないため彼らが入り込める余地が極めて限られるはずだ。さらに、これが重要だが大口投資家である機関投資家が動かないことで、株を売る側のアナリストも時間を割いて新興市場の株式を追いかけることが出来にくくなっていることだ。実際、ネット証券などに口座を持って東証1部銘柄と新興市場銘柄についてアナリストレポートがそれぞれどの程度出されているか調べて見ればわかるが、新興市場の株式にはそれほど多くのアナリストレポートが出されていない。こうした「アナリストが入りにくい構図」が新興市場株に関する情報や株価についてのコンセンサス形成を難しくし、ひいては限られた情報の中で一般投資家が「勘や思惑」を頼りに投資しているのが現状ではないか。これが最も危険な状態だと私は考えている。



新興市場に上場している株式についてコメントを出す中立的なアドバイザー/アナリストを設置する仕組みが必要だ、と考えている。


ダ・ヴィンチ騒動 [コラム]

この週末から映画ダ・ヴィンチ・コードが封切られるようだが、アメリカではやたらと盛り上がっている。それも、映画そのものよりも、ニュースその他の取り巻きが盛り上がっており、全米のあらゆるテレビや雑誌がいろいろな特集を組んでいる。たとえばこんな感じだ "Love thine enemy" by Economist



アメリカの精神のよりどころはキリスト教らしい。アメリカのドル紙幣の裏側には必ず"IN GOD WE TRUST"と書いてある。「神の御名においてこのドル紙幣を信用する」というような意味であろうか。世界の基軸通貨であるドル紙幣は、少なくとも精神上は「神」によって信用供与されているわけだ。アメリカのような雑多な民族がそれぞれ勝手に生きている世界では何が正しくて何が正しくないか決めるためのよりどころが必要なはずで、それがおそらくキリスト教なのだろう。



ところが”ダ・ヴィンチ・コード”ではキリスト教を神格化せず、むしろ人為的なもの、たとえば聖書はキリストの死後4世紀も立ってローマ皇帝によって改変された説いている。真実はどうなのかわからないが、これはキリスト教に依って立つ人にとっては大問題なのだろう。先のEconomit誌によるとローマカトリック教会はかんかんらしい。カトリック総本山のバチカンでは映画をボイコットしようという話になっているようだ。まぁ、1,600年続いたカトリック教会がこれしきのことで没落するとは思えないが。



真実がどうでれ個人的には一つのシナリオとして興味深く思うし、映画にはエンターテイメント性があるのだろうと推察する。騒ぐ人が多いほどそれで潤う人がいることだけは確かなようだ。


アメリカ人はそそっかしい? [コラム]

先日投資した会社の株券が送られてきた。株券は株式会社制度の根幹を成す最重要書類の一つであり、間違いがあってはいけないものなので、投資して株券が送られてくる都度内容を確認するわけだが、案の定、今回もあれこれ間違いを発見してしまった。。。



よく間違いがあるのが「株主の名前」の間違い。たとえば株主名が「ABC Company Inc.」だったとすると、それがなぜか「BCD Company」になってしまうような例だ。ABCの部分がちょっと似ているけど明確に違うBCDに代わり、さらに会社形態を示すInc.がついていない、なんていうのが日常茶飯事に起きる。ついでに日本的常識で言えば「Inc.」の末尾についているべき"."が、ごく当然のように無視されてしまう。



さらに由々しきことに株数が違うことがよくある。株券には必ず株主名と持株数が明記してあって、その株主が何株の権利を持つのかわかるようになっているわけだが、この持株数を間違えてしまうわけだ。大金出して株を買ったのに株の数を間違えるとは何事!って思うが、アメリカではほんとうによくあることのようだ。



アメリカで生活しているとアメリカ人の仕事の質の低さが目に付くことが多い。今回はたまたま株券に印刷されている文字が違うわけだが、こんな話は日常茶飯事だ。よく言えばみんな大らかで細かいことを気にしないとも言えるが、裏を返せば適当にごまかしてもわかりっこないからそんな細かなことは放っておいてさっさと家に帰ろう、といういい加減なところがあるのではないか。そうやってみんな適度に気を抜いているからハッピィに生活していけていいんだけど、アメリカ人に何かを頼むときにはこっちも気をつけないといけないようだ。


日本のベンチャー、世界を目指すべし [コラム]

アメリカの6月は毎日からっと晴れて、日も長く、一年の中でも一番いいシーズンのようだ。だからだと思うが、6月は全米主要都市のどこかで毎週のようにベンチャー企業やベンチャーキャピタルが集うフォーラムが開かれる。たとえばthe Venture Forum 2006などはプレゼンテーション130社、展示社数300社、参加者1000人を超えるフォーラムで、大きな大会だ。



今年はこのフォーラムにオーストラリア、カナダ、香港、イタリア、韓国、台湾のベンチャー企業が参加するらしい。もちろん一番多いのは地元のアメリカ企業で、ここに中国系アメリカ企業やインド系アメリカ企業が含まれるわけだが、今年はさらにその他の地域のベンチャーも参加するらしい。ここに列挙した国々を見てみるとほとんどが環太平洋! でもなぜ日本のベンチャー企業の名がないのかとても不思議でもありちょっと残念だ。



英語の問題もあろうが、お隣の韓国や台湾だって英語圏じゃないけどがんばっているわけだから日本のベンチャーがやってやれないわけがない。個人的にはそんなベンチャーを支援したいと考えている。


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